ドイツ駐在時代のランニング仲間とベルリンマラソンに参加
会社を3日休んでベルリンマラソンに参加したが、結果は惨敗。これだけ苦しい思いをしたことはなく、悲惨なマラソンとして生涯忘れることのできないものになりそうだ。
2000年9月10日。マラソン日和。曇り。気温は15度前後で最高の条件。スタートは自己記録別の5つのゾーンに分かれるのも走りやすくて良い。
15Kまでは快調に予定通りのペース。これなら自己記録もいけるかなと思いながら走る。
5K: 0:24:36
10K: 0:24:59
15K: 0:25:07
それは16Kを過ぎたところ突然来た。 プツン、あれっ?突然が足が重く感じだして、気力もみるみる内に萎えてきた。これが、いわゆるオーバーペースなのか。今までも比較的前半に速めに走って後半はバテ気味の展開だったが、今回は中盤に入る前にあっという間にきて、プツンと切れて終わってしまった。
20K: 0:26:11
中間点まではなんとか惰性で走ったが、そこで歩き出してしまう。ここからが地獄のハーフで、足は棒のように硬く、走るたびに膝に響いて痛む。気温も上がり、25度近いのではないか。何度も棄権を考えるが、その度に、「わざわざ日本から来て、棄権するなんて」なんて言われるんだろうなぁ、と思ってひたすら歩き、走る。
25K: 0:30:58
30K: 0:34:46
歩き出したら、10Kくらいが限度か。足の痛みがひどくなり、気力の衰えも激しい。途中、救急車が何度も行き来して気になる。車椅子の男性をリヤカーのように引っ張りながら走る女性に抜かれる。
35K: 0:38:51
40K: 0:45:06
4:27:45。なんとかゴールに辿り着けたが、足のダメージは今までに経験したことのない最悪の状態。昨年のサンフランシスコについでワースト2の記録。参加
27017名中16183位。完走者は、22833名で暑さのためか棄権者が多かったようだ。今回は二人の死者が出たとのこと。一人はコース途上で、一人はゴールでお亡くなりになったとのこと。マラソンで死者が出るのは稀なことだが、スタート後急激に気温が上がったためか。われわれがゴールに着くころは30度近かったのではないか。
惨敗の原因は練習不足と暑さ。7月112K、8月174Kでは5分ペースで走るのは無理ということか。次回の福知山にはきっちり練習して臨みたい。
男子の優勝者はなんとラビットの選手がそのままゴールで、砂田選手は2:10:08で4位入賞でした。ウルトラのスペシャリストと思っていたが、通常のマラソンも早い。
女子は天満屋の松田選手が2:26:15で、日本人で初めての優勝。女子は上位20名に6人という男子のケニヤ勢並みの勢い。女子マラソン王国日本。
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Charlottenburg Tor 持ちタイム別のスタートゾーン。一般の前のイエローゾーンに入れた。 | |||
3K地点のブランデンブルグ門。5分ペースで快調に進む。 | 5K地点。テレビ塔が見えてきた。まだまだ元気。 |
15Kで足にきて、ハーフを超えたところで歩いてしまう。 | 後半は暑さが厳しく、歩く区間が増えてきた。 | もうこうなったら歩いてゴールしよう。 |
まだ終わってないよ。ゴール前300m。 | なんとかゴールには辿り着いたが。完走とは言えないな |