AMSTERDAM 2002
スタート前の面々。
アムステルダムは1983年から1988年までの5年半を過ごした懐かしい街。8月にKさんからアムステルダムマラソンに参加すると聞いた時、発作的に参加を決めてしまった。コースは中心街の観光ポイントとレンブラントが愛したアムステル川沿いでよく知った所ばかりを走る。センチメンタル・ジャーニー・マラソン。
しかし、1月に膝を痛めて以来、走る距離が減るのと反比例して体重が増える一方で、83キロまで戻ってしまった。2ヶ月間で583キロの必至の走りこみで、なんとか77キロまで減量したが、フルを走るにはまだ重た過ぎる。
本番前日の10月19日は、朝のブレークファストランに参加。30名程度と寂しい参加者。短時間に雨と晴れ間が入れ替わるオランダ特有の天気の中、アルスミーアの湖畔など8Kほどジョグ。昼からは自転車を借りてコースを下見。時折激しい雨に降られたが、スタートから24K地点までと36K地点からゴールまでを自転車で走る。本番前日にしてはちょっと無理しすぎたか。
10月20日は、前日とは一転して曇り、14度前後の絶好のマラソン日より。スタート後すぐに踵に痛みを感ずるが、2Kを超えたところで治まる。1キロ5分10秒前後のペースで気持ちよく進む。13K地点のリーカーの風車を背景に最初の記念撮影。
15Kを超えたあたりで、再び踵が痛み出す。両足の足底全体が痛む。着地時に体重がかからないように摺り足走りに変えるが、痛みは治まらずスピードも落ちる。ハーフを超えたところで、早くも歩き出す。この後は、歩きと摺り足走りを繰り返しながらゴールを目指す。が、これほど早く歩き出すとゴールは遠い。 こうなれば、センチメンタルマラソンに徹して、写真を撮りながら進む。
30K前後では、周囲にはフルマラソンを走るランナーが殆どいない。制限時間6時間で、まだ5時間を切るペースだが、ランナーがいないのはどうしたことだ。 35K地点でKさんに抜かれる。40K地点からゴールまではなんとか走りきろう。足底が痛い。
4時間54分でゴール。
男子完走者2461名中2379位。過去のワーストタイムであったが、なんとかゴールできたことに満足。じっくりとコースを楽しめたことにも満足。昔住んでいた5年間で見たことのない素晴らしい紅葉が見られたのも収穫。
前日のブレークファストランは雨の中。晴れとにわか雨が繰り返される典型的なオランダの天気 | 自転車でコースの下見。4k地点で建物をでくぐる国立美術館はレンブラントの夜警で有名。 | そのレンブラントはアムステル川の河畔でスケッチ中。バックはリーカーの風車で13K地点。 |
アムステル川沿いの風車。手前側が15K地点、風車側は20K地点。水面は道路とほぼ同じ高さで、道路沿いの家は水面よりずっと低いのが怖い。 | アムステル川の折り返しアウダー・ケルクの橋から。ここにあるSmittとというパンケーキ屋が美味しいが、残念ながら今回は味わえず。 | 36K地点から見えるミントタワーは昔のコイン鋳造所。 |
13K地点でリーカーの風車をバックに元気いっぱい。 | 14K地点。アムステル川沿いのコースは気持ちよい。 | 18Kくらいから踵が痛みだして、ハーフを超えたところで歩きだす。 |
32K地点の背の高い風車が珍しい。取り残されて周りには殆どランナーがいない。 | 34K地点のニコライ堂。気分はすっかり観光客。 | 34K地点からアムステルダム中央駅 |
なんとかゴールに辿り着くと、寒い中山形さんが1時間以上も待っていてくれました。 | アムステルダムの中心、ダム広場の王宮。みなさんデュッセルに日帰りなので、一人淋しく中華で完走祝賀会。 |